遙かなる時空の中で7 -真田幸村ルート-

遙か7全ルートクリア記念(?)幸村ルート感想。最高すぎたのでめっちゃ長いです。他ルートのネタバレもあります。
攻略順は長政→兼続→宗矩→阿国→大和→武蔵→五月→幸村でした。

 

 

 「あれ? 未開放のBGMがある」

 

1週目の長政ルートクリア後、おまけのサウンドテストモードを開いてまずこう思った。

最後から2番目の曲。別ルートで流れるのかな? 順番的にたぶん重要なBGMなんだろうな、大団円ルートの専用BGMかな? その時はそんなふうに考えていた。

 

そうして続く2週目兼続ルートを始めたところで、特典サントラを手に入れた。早速聞いた。やっぱり今作は音楽がいいなあ、あの未開放BGMはどれだろう――とトラックリストを見たところでハッとした。

 

『英雄譚の終わり』。最後から2番目の33曲目。

 

曲自体は、主に八葉が活躍したり反撃に転じる時によく流れる『縦横無尽』のアレンジのようだった(よく聞くと違う気もするのだが、とにかくその時はそう思っていた)。初めて流れたのがどの場面だったか覚えていないが、私は幸村が行商の娘をかどわかそうとした悪漢に「キレ」て、かぶいていた頃のヤンキーっぷりをあらわにするシーンで流れていたのが印象に残っていた。

 

そう、幸村が。悪漢を前に。反撃に転じるシーンで。流れていたのが――

 

これは、ともうこの瞬間に色々予感してしまった。その後、同じ西軍の将だった兼続ルートをクリアした時点で予感は確信に変わった。このゲーム、大坂夏の陣をやる気だ。そしてその結末はおそらく――と。

 

まあ、やっぱりそうするだろうな、というのが正直な感想だった。ネオロマは過去にも攻略キャラをエンディングで殺したことがある。しかも幸村はコエテク戦国コンテンツの「顔」だ。半端な扱いはできまい。長政、兼続、宗矩と史実キャラを順番に攻略していくにつれ、確信はますます強まっていく。ごくごく一部の例外を除いて、今作は重要な史実を絶対に曲げないつもりなのだと。

 

そのまま阿国、大和、武蔵と順当にクリアする頃には、今作の世界観や神子に関する設定はほぼ把握できていた。七緒ちゃんは龍神の神子ではなく龍神そのものであり、力を使いすぎると人としての存在を失って「天に帰って」しまう。

 

史実で「人を活かす」活人剣の概念を提唱した宗矩は、神と人を文字通り「切り分ける」ことで七緒を取り戻した。

 

天地の白虎、長政は神子を「ただの女に引きずり落とし」、兼続は「羽衣を失った天女を地上に繫ぎ止める」ことで龍神を人の世のものにした。

 

そして西天の白虎の反対側に位置する東天の地の青龍である五月は、なんと一度は「天に帰って」しまった龍神を、召喚術で再び呼び戻すという力業をやってのけた。名を呼ぶことは相手を縛り呪うこと、だから他人のまことの名はみだりに口にしてはならない――現実で「避諱」と呼ばれる習慣の元にもなった、原初の呪術だ。

 

これは、宮崎駿の『もののけ姫』でいうところの「神殺し」――つまり自然の猛威をおおかた屈服させ、各種の宗教改革によって神が古代の力と権威を失った現代に生まれた五月だからできることだろう。五月は妹を手元に留めておくためなら手段を選ばず、「神をも恐れ」ない。運命も宿命も自分のエゴで破壊していくことをためらわない。現代的かつ個人主義的な発想だ。

 

では、五月の対の八葉である幸村は。今作の八葉の中で唯一、乱世の終わりに、戦国の世という長い長い英雄譚の終わりに、大坂の陣で命を燃やし尽くすことが確定している彼はどうだろうか。

 

その答えは個別ルートに入って比較的すぐ分かった。石田三成――正確には天野三鶴――に「自分に万が一のことがあれば、秀頼様と淀殿を託したい」と請われた瞬間のことだ。

 

三成/三鶴は現代人なので、このあと起こることを知っている。関ケ原の戦いで自分は敗れ、大坂の陣で豊臣は滅びる。その大坂の陣で「史実通り」幸村が豊臣のために戦ってくれることを願って、彼はこんな頼み事をしている。三成の言葉はいわば未来人の予言であり、もう一人の「予言者」である五月が妹の生死にのみ頓着している以上、幸村の運命を変えられる――「捻じ曲げ」られるのは彼だけだった。しかし彼はそうしない。戦国武将・石田三成として、また現代人・天野三鶴として、彼は友人の「最後まで義を貫く」性分を「事実として尊重した」のだろう。

 

こうなると後はもう金輪際の根元へなだれ込んでいくだけだ。まず幸村は「犬伏の別れ」で兄・信幸を失う。ここで信幸が「信之」に改名するという一行が挿入されたことで、なぜ「信繁」の諱ではなく俗説である「幸村」の名が採用されたのか気づいた時には思わず頭を抱えた。「幸」は真田家の通字(とおりじ)で、織田家の男性がみんな名前に「信」という字を共通して持っているのと同じく、一族が代々受け継いでいくもの――つまり「家族」の証だ。信之はそれを捨てた。幸村は彼の「幸せ」である家族を失ったのだ。

 

この後に起こる幸村と五月の会話には、後半九度山で再度起こる二人の会話とあわせて、幸村ルートのエッセンスが詰まっている。人にはそれぞれ違う意志があり、異なる決断を下す。その違いを事実として尊重する。その結果、相手や自分がどうなってしまうとしても。なぜならその人を愛しているから。

 

幸村は七緒を愛している。だからみずからを犠牲にしてでも世界を救おうとする七緒の決断を尊重する。それを「理解できない」という五月も、最後には妹の決意を受け入れる。共通ルートで――しかもこれは強制イベントだった記憶がある――「覚悟を讃えるべき」と言っていた長政は七緒を賞賛し、宗矩は敬服し、阿国は涙を流して悲しんでくれる。大和も武蔵も兼続も、七緒に「そんなことはダメだ、やめろ」とは言わない。みんな七緒の「意志を尊重して」いるのだ。石田三成が友である真田幸村の運命を尊重したように。これが愛でなくて何だというのだろうか?

 

そして九度山龍穴を通って――これが世に言う「真田の抜け穴」だという演出が最高に心憎い――竹生島にたどり着くと、おおかたの予想通り神子は龍神になって天に帰ってしまう。この時「人の世でやるべきことが残っているから今はまだ共に行けない、いずれ時が来たらあなたの元へ導いてくれ」という幸村には、「たとえ神であっても英雄・真田幸村の意志を捻じ曲げることまかりならん」という制作陣のメッセージをひしひしと感じて、私はコントローラーを握ったままガッツポーズした。そう、史実をリスペクトするというのはこういうことだ。近年は大河ドラマでさえこれができていない時があるのにすごいことだ。しかもこのゲームは全年齢向け恋愛エンタメ作品だというのに。

 

幸村は史実どおり大坂の陣にのぞみ、徳川家康本陣に決死の突撃をして、そして散る。その訃報が元・八葉の仲間たちに届いた時の反応がまた良い。当たり前だが彼らはみんな幸村が豊臣方として大坂の陣に参加していると知っていたのだ。その結果、彼がどうなってしまうかも重々分かっていて、それでも「日の本一の兵」として義を貫くという彼の決断を尊重した。同じ八葉の仲間として。友として。

 

史実では大坂夏の陣は元和元年5月7日(グレゴリオ暦1615年6月3日)に大坂城天守が炎上して事実上終結する。ネモフィラは4月~5月にかけて開花するから、信之が墓前に咲く花を見たのもおおむね時期は合っている。GWにひたち海浜公園に行けば遙か7プレイヤーは号泣必至だろう。

 

今わの際に愛する人に迎えられた幸村は、そこでようやく七緒と「家族」になって永遠の幸せを手にする。自分で言っているように、彼らの幸せは――残念ながら、と言っていいものか――おのれの命をなげうった「その先」にしかなかったのだろう。これが二人の「心に感じる幸せ」なのだ。

 

史実の真田信繁もゲームの真田幸村魚座なのだが、この「死んで宇宙(あの世)へ昇天した魂が、何もかも全て溶け合い、個というものがなくなって、最後には愛だけが残る」というストーリーはきわめて魚座的だ。黒田長政(史実では山羊座、ゲームでは射手座)の描き方を見るに、おそらくこちらも狙ってやっているのではないかと思う。

 

だからこのエンディングの後のことはあまり心配していない。個が消えて宇宙と同化した魚座の魂はこの後どうなるか。西洋占星術の世界では、また新たな命になって地上に生まれ落ちてくる(魚座の次が「誕生」「はじまり」を意味する牡羊座なのはそういう理由だ)ということになっている。すなわちサークル・オブ・ライフ、「いのちはめぐる」のだ。幸村と七緒も、やがて新たな「はじまり」を迎えるのではないだろうか。ファンとしてはFDを待望してやまない。