父殺しとイニシエーション(大和と武蔵)

大和ルートと武蔵ルートについて雑感。ふせったーから転載。

この二人のシナリオって、天地の朱雀でテーマが共通してて、どちらも父殺しと少年が大人になる(大人になったと社会に認められる)話だと解釈してて、つまりそれぞれのルートでの他の八葉の野郎どものムーブは「良き大人」あるいは「良き父親(正確には父が象徴する社会的な『権威』、または『社会』そのもの)」の具現として描かれているのだ。たぶん。

「父」「父権」を象徴する乾卦の八葉である天の白虎の長政が武蔵の近くにいるのも意図的な配置のように思う。長政は武蔵に「長政様もお変わりなく」と言われたとき「まあこの歳になればな」と返すが、あれは彼が「大人、年長者」であることの表現だ。他にも随所にそういう振る舞いや会話が見られる。
これは物語構造の設計として正しい。武蔵ルートの八葉たちは長政を筆頭にほぼ全員(五月すら!)武蔵を優しくも厳しく指導するか、黙ってやらせてみてピンチになったら助けに入るというお父さんムーブをシナリオ中でずっと繰り返している。大和だけが対等な立場で切磋琢磨するライバルというポジションで、この構造は対になる大和ルートでも同じだ。

大和ルートと武蔵ルートで大人八葉たちの振る舞いのおもむきが異なるのは、大和と武蔵にとっての「望ましい大人(社会)」像の違いだと理解している。大人にはこうであってほしいし自分もそうなりたい。大人になって社会の一員として認められたい、受け入れられたい。そういう「少年のイニシエーション」の話なのだ。

大和も武蔵も「こういう大人(父親)」のロールモデルを必要としていた。だが二人の実の父親がこのロールモデルたり得なかった(少なくともわが子を優しく誠実に導いてくれるような親ではなかった)のは明らかで、家庭が機能不全を起こした結果大和と武蔵は(特に大和の方は深刻なほど)悩んだり行き詰まったりしていた。そこへ良き大人、良き他人として神子や八葉の仲間たちが登場し、彼らの欠落を埋めつつ成長を促す。さあ一人で立ち上がってみせなさい、あなた自身で選び取りなさい、きみならちゃんと正しい選択をすると信じていますよ、私たちはきみを受け入れますよ、というポーズで待っていてくれる人たちが颯爽と現れたという構図だ。

二人のシナリオを比べると、武蔵ルートの「優しくも厳しく教え導き、夢を応援してくれる」という方向性に対して、大和ルートの神子と八葉たちの振る舞いが明らかに「拒絶せず、理解して、認めてやり、受け入れる」という方向へ向いているのがなんとも切ない。たぶん大和はお父さんに(そして周囲の人たちに)こういうものを与えられたかったのだ。

残念ながらその願いは現代では神子と五月を除いて叶うことがなかった。それは単に運が悪かっただけのことだが、事実としてそうだったので、彼は異世界に残る決断をする。自分を拒絶せず、理解して、認めて受け入れてくれる人たちがいる世界に残る決断を。

それで構わないのだ。「(父親のことが)わかんねえってことがわかった」と大和は言う。肉親だろうが分かり合えない相手はいるし、逆に赤の他人でも分かり合える相手はいる。大和は成長してその気づきを得た。だから父親にきっぱり決別を告げて(「父殺し」をして)家を出ていく。住宅情報誌なんか不要だ。彼にはもう帰る場所がある。

 

~~~~~~以下蛇足~~~~~~

 

いやあ武蔵の代理父ムーブしてる長政様めっちゃ美味しくないですか???? シナリオ上の都合とはいえまだアラサーなのに大和におじさん扱いされる天地の白虎萌えるわあ。宗矩さんだってほぼ同世代なのに…