織姫と彦星の物語 -兼続の犯した罪と罰-

あれ? ヤン・ウェンリーがいるじゃん

遙か7の直江兼続を初めて見た時、それが偽らざる第一印象だった。

 知らない方のためにご説明すると、ヤン・ウェンリーというのは田中芳樹の傑作スペース・オペラ銀河英雄伝説』シリーズの主人公のひとりだ(Googleの画像検索を見れば私の言いたいことが分かってもらえると思う)。

どうもコーエーテクモの中には銀英伝が大好きなスタッフがいるようで、似たようなジェネリック・ヤンが同じ会社の戦国無双シリーズや、開発を担当したファイアーエムブレム風花雪月にも見られる。いわゆる、オマージュというものだ。

こうしたキャラクターたちに共通なのは、みな当代随一の戦術家であり、知将と呼ばれる存在であることだ。これは直江兼続という歴史人物の通俗的なイメージと一致する。真田幸村日本一の兵なら、直江兼続は上杉家を支える知謀の将なのだ。

江戸時代の書物によれば、直江という人は文武両道に優れ、日本の古典のみならず中国の漢詩文学にも通じた文化人だった。ゲームでも言っているように書物の蒐集が趣味だったようで、朝鮮出兵で渡海した際に現地の貴重な書籍を持ち帰ったりもしている。ゲームの兼続が教養豊かなのはこれが由来だろう。

政治家としては、農政治水にも力を入れた。
ゲーム中で描かれたように青苧の栽培を推奨したり、城下町の区割りや用水路の整備などを積極的に行った。現代の米沢のまちの基礎を作ったのは間違いなく彼だ。だから、直江兼続という人は、今でも米沢のひとたちの英雄だ。

――どうしてわざわざこんな話をするのかと言えば、私個人はこうした後世の評価をちょっと斜に構えて見ているからだ。

(※以下兼続ルート(と一部長政ルート)の画像バレ込みのネタバレを含みます)


米沢に地縁がない私にとって、直江兼続と聞いてまず思い浮かぶのは直江状だ。

この手紙自体は偽書・改竄の疑いが強いのだが、少なくとも当時上杉家で絶大な権力を持っていた直江が、徳川家康との政治闘争の中で大なり小なり対応を誤ったのは事実だろう。その失敗の結果、関ヶ原の後、主家である上杉家は120万石から米沢30万石へと大減封された。武士として、仕える家の衰退を招いたということは、ロマンチックに美化したりせず、ちゃんと評価するべきだ――そんなふうに考えていた。

そして、同時にこうも思っていた。

まあ、でも、これは乙女ゲームだから。

大河ドラマの『天地人』だってそこまでシビアには描いていなかった。それに直江兼続といえば「義トリオ」の一角、コエテク戦国コンテンツの花形(?)だ。だから、そのあたりはきっと、いい感じにマイルドに砂糖をまぶして描くんだろう――

甘かった。

砂糖だけに。大量の砂糖をぶち込んで作られたアイスクリームのように。誤っていたのは直江ではなく、ネオロマンスを舐めきっていた私のほうだった。ルートをクリアしてタイトル画面に戻った時、つくづくこう思ったものだ。

コエテクさん、ほんとスミマセンでした。素敵なシナリオをありがとうございました。

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さて、天地白虎のルートには共通のモチーフが登場する。天の川だ。

長政ルートだとこれは「人間の力ではどうしようもない天運・天命」の象徴のように使われている。一方の兼続ルートでは、スチルにも描かれているように、龍神の神子と兼続を「織姫と彦星」にたとえるために登場する。

この話は、元は中国の伝承で、正しくは牛郎織女という。古い伝説なので話の内容はいろいろパターンがあるのだが、広い意味では竹取物語かぐや姫などと同じ、「羽衣伝説(白鳥処女説話)」といわれる異類婚姻譚の一種だ。

遙か7の龍神の神子――正しくは龍神そのもの――は、ゲーム中さまざまな場面でこの「白鳥の処女」、すなわち「天女」にたとえられている。兼続ルートではバリエーションである「織姫」になっているが、これは史実の直江が残した恋の漢詩に「織女惜別*1」という一篇があるからだろう。

神子は天女であり、かぐや姫だ。だから地上に住まう人間の男である兼続に恵みを与える。最初のスチルに出てきたアイスクリームを皮切りに、じゃがいもに監視カメラ、果ては枯れ井戸と天の川の底を繋げて水を引くことさえしてみせる。

こうした天上の美味について、兼続自身は劇中でこうコメントしている。

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この台詞は、さらにこう続く。「後で罪滅ぼしをせんとな」、と。

天罰とは何だろうか。
読んで字のごとく「天が下す罰」のことだが、東洋思想の「天」とはキリスト教のいう「神」とはすこし違う。たとえば辞書にはこう載っている。

てん【天】
1 地上を覆って高く広がる無限の空間。大空。あめ。「―を引き裂く稲妻」

2 天地・万物の支配者。造物主。天帝。また、天地・万物を支配する理法。「運を―にまかせる」「―の助け」「―の恵み」

("てん【天】", デジタル大辞泉, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2020-07-27))


東洋思想の世界では、すべての人間はこの天によって、地上で果たすべき役目を負わされて生まれてくる。これが天の命令、すなわち「天命」だ。
天は課せられた命を果たそうとする人間を助ける。これが天恵だ。そして逆に、自らの命に逆らおうとする人間は滅ぼす。これが天罰だ。

ゲームを立ち上げて、おまけモードの楽曲集を開くと、36番目に「命は天に在り」という曲がある。この曲がどの場面で流れるのか考えてみてほしい。

そして思い出してほしい。兼続ルートは織姫と彦星の物語のメタファーだと言った。あの話は、恋にうつつを抜かして仕事を――天に課せられた役目を――怠けた結果、天帝の怒りを買って罰せられる男女の伝説だったはずだ。

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兼続は初登場シーンの竹生島でこうも言っている。

これは中国の古典である『論語』の言葉で、兼続は一部省略して引用している。
正しくはこうだ。「民の義を務め、鬼神は敬してこれを遠ざく。知と謂うべし」と。

直江兼続は知謀の将だと言った。知の人である彼が「己の義」と言うとき、それはこの「民の義」を意味するはずだ。この場合の義というのは「正義」や「道義」などの「義」というより、これまた読んで字のごとく「義務」のニュアンスが強い。
人知を超えた超常の力などを頼りにするのではなく、人間として当然なすべき役目を粛々と果たすこと。それが知者の振る舞いだ」と『論語』は言っているわけだ。

戦国きっての文化人・教養人として鳴らした直江山城守だ。ゲームの兼続にもこれは分かっていただろう。だから出会い頭にこうやって神子を「敬遠」してみせたのだ。

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しかし彼は結局こうなってしまう。

兼続は「よろこび」を意味する兌の八卦に対応する地の白虎なので、「楽しいこと」や「素敵なもの」にはめっぽう弱い――というのはメタ的な話だとしても、史実の直江兼続の置かれた状況を考えれば、これは仕方がない面がある。

今でこそ日本の大穀倉地帯である東北だが、こうなったのは比較的最近の話だ。
雪深く、作物の実りが少ない東北は、古来からずっと過酷な土地だった。
ひとたび冷害が起これば、品種改良前で寒さに弱い稲穂は一発で枯れてしまう。食い詰めた農民は赤ん坊を間引き、子どもを人買いに売り飛ばして糊口をしのいだ。江戸時代の遊郭や女郎屋には東北出身の娘が多かったと言われるが、それはこのためだ。

米沢へやってきた兼続の前に現れたのは、そんな大地だったはずだ。

コンバインもトラクターもない、ビニールハウスもなければ天気予報も見られない、そんな時代だ。はっきり言ってちっぽけな人間ふぜいの力ではどうしようもない。兼続はその悪い口でこう罵ったかもしれない。なにが民の義だ。なにが天命だ。そんなに天とやらが偉いのならば、今すぐ腹いっぱいの握り飯会津の民に与えてみせろ――

そんなときに、

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目の前にぶら下げられた「希望」に、飛びつかずにいられる人間がいるだろうか?

これはシナリオライターが意図したものか分からないが、じゃがいもの日本伝来には、慶長3年(1598年)説と慶長6年(1601年)説があるようだ。
オランダの貿易船がインドネシアジャカルタから運んできたため「じゃがたらいも」と言ったのが始まりなのだが、オランダとの貿易が始まったのは1600年以降*2なので、個人的には後者が正しそうだと感じている。

そうだとすれば、劇中時間の慶長4年に神子が兼続に与えた種芋は、いわば時空を超越した奇跡の作物だ。人知を超えた超常の力だ。兼続はそれに縋った。これで飢えと寒さに苦しむ会津の民の腹を満たせると信じて。

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さて、地の白虎は兌の八卦に対応すると言った。一方で、「偉大なる天」を意味する乾の八卦に対応する八葉も存在する。それが天の白虎だ。

ゲーム中の長政の台詞をつぶさに観察すると、しばしば彼が「こうするべきだ」「だが決断はおまえがやれ」「俺はそれを見ていてやろう」――というような言動をしていることに気づく。これは人間に命を与え、それがきちんと遂行されているかどうかを空から常に見張っている天の振る舞いに似ている。

人は生まれを選べない、だから少しでもましな未来をつかみ取るために動く」という彼の考え方は、人事を尽くして天命を待つ、というような意味に取れる。長政はひたすら生まれ持った天命の遂行に邁進し、結果として天が彼に恵みを垂れる。彼は乾卦の八葉として、他のルートでは天意の代弁者として扱われているふしがある。

その長政は、関ヶ原の合戦で相まみえた*3兼続にこう問うている。

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この台詞を、仮に天の父――天帝の言葉に翻訳するとこうなるだろうか。

わたしがおまえに与えた役目は、上杉の執政として、北の戦場で軍勢を指揮することだったはず。その義務を放り出して、おまえはここで何をしているのか?

己の務めるべき義を忘れ、人間には不相応な天上の美味、龍神の力にまで頼るなど、それが知謀の将たる直江兼続のやることか!

――史実の関ヶ原合戦に、もちろん直江兼続はいない。

直江が石田三成と密謀して、北と西で同時に戦を起こし、徳川家康に対決を挑む――という筋書きは、江戸時代に生まれたフィクションだ。本来であれば、彼はこの時、奥羽の戦場で伊達・最上との戦いを続けているはずなのだ。

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関ヶ原の戦い当日の9月15日は、ちょうど史実で直江が長谷堂城を包囲した頃だった。

ゲームの兼続は岐阜城の戦い(8月22日)に参陣するため、相当な超高速慶長出羽合戦を駆け抜けてきたに違いなく、それはそれで愛のなせるわざなのだが、ここで重要なのは「9月15日時点の勢力図が史実とほぼ同じ」という点だ。

戦場で神子と兼続を見つけた長政は、武士の情けか天の情けか、わざわざ兵に「誰も近づけるな」と命じて人払いさせていた。つまり、兼続は東軍に発見されていない。

ぎりぎりのところで、彼は歴史の流れから外れていない。

兼続はまだ引き返せるのだ。

だが、

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残念ながら、今から引き返したところで、どのみち喪失は避けられない。

石田三成もとい天野三鶴の内心はいくつかのルートで断片的に語られるが、一番はっきり分かるのが兼続ルートではないだろうか。彼は現代人として、石田三成という歴史人物が負わされた天命がどんなものか知っている。だからそれを変えようとした。

天命に逆らうものには天罰が下るものだ。

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思うに兼続と三成は、ともに天の定めに逆らおうとする同志だったのかもしれない。

こんな乱世に空から降ってくる天命など、ろくでもないに決まっている。「飢饉で食うに困って死ぬ天命」だとか、「戦で惨たらしく死ぬ天命」だとか、そういうものが無数に転がっていた時代だ。現代の価値観を持つ三鶴は、そんな反吐が出るような運命を、なんとかして乗り越えようとしたのかもしれない。

水瓶座の兼続は理想主義者だ。三鶴の理想と信念は、おそらく素晴らしいものに見えただろう。史実はともかくとして、ゲームの彼らの間にはきっと友情があった。

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だから三成は友として、兼続に「帰れ」と言う。

自分はここまでだが、おまえはまだ引き返せる。だから俺のことは見捨てて、おまえのあるべき戦場で、なすべき義を務めろ、と彼は言っているのだ。

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これが兼続の犯した罪であり罰だ。

だから彼は何も得ることができない。凄惨なやり口で友人を奪われ、主君たる上杉家は大減封される。史実の直江がそうだったように、兼続もまた対応を誤った。敗軍の将とはそういうものだ

余談だが、このあたりになると、あまりに手加減なしのシビアなシナリオに、私は興奮で笑いっぱなしだった。乙女ゲームでこんな話ができるなんて! やはり遙かなる時空のライター陣は史実へのリスペクトの重みが違う、と思った。

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こうして兼続は天罰を受けた。

罪滅ぼしは終わった。だからあとは前へ進むだけだ。たとえそれが、地に這いつくばり、泥にまみれながら行く道だとしてもだ。

最初に述べたとおり、兼続は米沢30万石に押し込められた上杉家に残り、城下町としての米沢の発展のために邁進する。町並みを作り、川を整備し、作物を植えて、いわゆる殖産興業に努める。腰まで泥につかって農作業をする日々の始まりだ。

四季農戒書』という農業に関する書物が現代に伝わっている。この本を書いたのが直江兼続ということになっているのだが、実はこれは17世紀末に書かれたものだ。つまり死後に名義借りをされているわけだ。それだけ直江の業績が偉大なものとして認知されていたということだ。

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兼続が関ヶ原でやったことは、確かに何も実を結ぶことがなかった。

しかし彼が作った米沢の基礎は、何十年、何百年も後の時代になっても残り、こんにちの発展に繋がる。兼続本人がそれを目にすることはきっとないが、彼が神子と――おそらくただの人間の女になってしまった七緒と一緒になって植えた種は、遠い未来で確かに芽吹くのだ。

幸いにして、兼続は七緒を通してその未来がいつか来ることを知っている。だから彼はを見続け、これからも土を耕しつづける。そしていつの日か、この地に希望をもたらした人物として、彼自身が郷土の英雄となるのだ。


……美しい! なんて美しい伏線回収だろう? いやほんと舐めててスミマセンでした。コエテクさん素敵なシナリオをありがとうございました。

*1:ちなみに、これと「逢恋」というもう一篇の恋の漢詩と併せて、史実の直江兼続には妻の他に想う女性がいたのではないか、という俗説もある。

*2:長政ルートで登場するリーフデ号が日本に初めてやってきたオランダ船だ。

*3:このシーンは若干「銀英伝ネタ」っぽさを感じるというか、ヤン・ウェンリーのライバルだったラインハルト・フォン・ローエングラムの役を長政にやらせている感があって面白い。